
世界では今、自動運転車両の開発と普及が進んでいますね。

これらの取り組みは自動車メーカーだけでのものではなく、テクノロジー企業やスタートアップ企業なども開発に関与しています。
人間が運転しなくても自律的に走行する「自動運転車両」は、過去において全くの夢物語でした。ところが現在はAIとセンサー技術の急速な発達によって開発競争が加速し、未来における大規模な商用化の道が切り拓かれつつあります。

今回は記事を前編と後編に分け、飛躍的な進化を遂げている自動運転車両の過去・現在・未来について、AIと一緒に考察していきます。前編のトピックは過去から現在。自動運転車両の始まりと歴史、そして各企業の取り組みです。
自動運転車両の歴史を俯瞰していく中で明確になったのは、急激な進化を遂げたアメリカと追随する中国、そして社会貢献と自動運転サービスを密接に関連付けた日本政府と企業の姿勢でした。どうぞ最後までご覧ください。

それでは早速見ていきましょう!
自動運転車両の始まりと開発・商用化の歴史、企業の取り組みをAIと一緒に考察
自動運転車両の定義と自動運転レベル
自動運転車両の定義

「自動運転車両(Autonomous Vehicles, AV)」は、人間の介入を最小限に抑え、または完全に排除して走行する車両を指す言葉です。
自動運転車両の中核は、センサー技術とAI(人工知能)にあります。LiDARやカメラ、レーダーなどのセンサーが周囲の環境(歩行者・車両・道路標識など)をリアルタイムで検知し、AIがデータを解析して安全な走行経路を判断するのです。

この技術によって、車両の加速とブレーキ、ハンドリングは自動化され、ロボタクシーや自動配送などの革新的なサービスが生まれつつあります。センサー技術とAIが共に進化したことによって実現した「次世代のサービス」と言えるでしょう。

最近は「自動運転車両」の話題をよく目にするようになりました。
自動運転レベルについて
自動運転レベルは、アメリカの非営利団体「SAE International」が定めたSAE J3016規格の「レベル0」から「レベル5」までの6段階で分類されます。この標準規格は、現在世界中の企業や規制当局が参照しているものです。

レベル0は「手動運転」、レベル1は「運転支援」、レベル2は「部分自動運転」、レベル3は「条件付き自動運転」、レベル4は「高度自動運転」、レベル5は「完全自動運転」で、最高レベルの5は自動運転車両の最終段階を指します。

レベル4と5はどちらも「人間が操作せずに車両が動く」段階ですが、レベル4は気象や路面状態などの「条件付き」となり、「いかなる気象条件・場所でも自動運転できる」段階がレベル5になります。この違いは非常に大きいです。
自動運転レベルは、運用条件や責任分担の解釈において地域で若干の差が生まれていますが、現在最高レベルの5にまで到達している企業は存在しません。今後は「レベル5の実現」に向けた開発競争も加速するでしょう。

自動運転レベルが進むにつれて、AIが人間から車両の運転を引き継ぐ割合が増えていきます。安全性と法規制が今後の大きな課題です。

テクノロジーの進化と安全性の確保を同時に行う必要がありそうですね。
自動運転車両の始まりと開発・商用化の歴史
自動運転車両のコンセプト (1939年 アメリカ)

自動運転車両のコンセプトは、1939年のニューヨーク万国博覧会で披露されました。
1939年に開催された「ニューヨーク万国博覧会」において、アメリカの大手自動車企業「ゼネラルモーターズ(GM・1908年創設)」は、未来の都市と交通システムを描いたコンセプト展示「Futurama」を公開します。

ノーマン・ベル・ゲデス氏がデザインしたジオラマ展示兼ライド型アトラクション「Futurama」のテーマは、「20年後のアメリカ(1959~1960年)」。観客は動く椅子に座り、上空から未来都市を俯瞰しながら体験する仕組みです。

「キャリー・ゴー・ラウンド」と呼ばれるコンベア形式の座席にはナレーション音声が流れ、来場者は雰囲気満点に未来都市のコンセプトを鑑賞できました。なお、記念冊子にはナレーションがテキスト形式でも掲載されていたそうです。

1エーカー(1,200坪)の巨大なジオラマでは、車が人間の操作なしに一定速度で走行し、渋滞や事故を回避する様子(自動制御された高速道路システム)も描かれました。これは今日の自動運転技術の基礎概念に通じるものです。

大恐慌の余波が残る時期にこうした「夢のある未来」が披露されたことで、アメリカ国民は大いに沸き立ちました。当時の技術では実現不可能でしたが、「自動運転の原型」を印象付けた点で、歴史的に重要な場面と言えます。

80年以上も前に自動運転技術の概念が生まれていたのですね。
自動運転技術の黎明期 (1950年代〜1980年代)
1950年代 (アメリカ)
第二次世界大戦後の1950年代、技術の進歩に伴って「未来の交通」が注目されるようになり、1953年にはアメリカの企業RCAが、高速道路に埋め込んだワイヤーを使って車を誘導する「自動運転道路システム」を提案します。

1958年には、GMとRCAが共同で「自動誘導車両」を試作開発します。これは高速道路上に「電磁誘導線」を埋め込んで車両のステアリング(ハンドル)を自動制御するアイデアで、当時としては非常に画期的な仕組みです。
RCAが考え出したアイデアは「車両が人間の判断力を代替する」のではなく、「道路が頭脳を持つ」発想に基づいています。つまり、「インフラ依存型自動運転車両」の初期例で、「道路ありきの思想」を持つ実験と言えます。
1960年代〜1970年代 (アメリカ・ドイツ・日本)
1960年代に入ると、アメリカではスタンフォード大学やMITが、画像処理や自律制御に関する基礎研究を始めます。これはロボティクスや人工知能分野の黎明期で、現在の「AI制御による自動運転車両」に繋がる部分でもあります。

1969年、ドイツではエルンスト・ディックマン(Ernst Dickmanns)博士が、ミュンヘン工科大学で後に大きな成果を上げる基礎研究に着手します。ディックマン博士は後に「世界初の自動運転高速走行車」を生み出す中心人物です。
日本では1970年代、工業技術院の津川定之教授がカメラを使って白線を認識し、自動追従走行する車両を研究し始めており、1977年には時速30km程度で1kmのコースを走行させる実証実験を成功させています。
この時代の自動運転技術関連の研究は、画像処理やセンサー能力が技術的なボトルネックで、実際の車両への応用は研究所内の小規模実験に留まっていますが、80年代以降の研究の飛躍へと繋がっていくことになります。

世界の主要国で自動運転の研究が進められていたのですね。

各国の研究者は「コンピュータとカメラを使って環境を認識し、車を制御する」という方向性に向かいつつありました。
1980年代〜1990年代 (ドイツ・アメリカ・日本・フランス)
1986年、ミュンヘン軍事大学のエルンスト・ディックマンス氏とメルセデス・ベンツが共同開発した車両「VaMoRs」が、自動運転による高速道路の走行に成功します。自動運転技術が研究所を飛び出した画期的な事例です。

1987年〜1995年には、発展型のモデル「VaMP」「VITA-2」などが登場。この時期のドイツは、世界で最も進んだ「実走行ベースの自動運転車両」を開発しており、特に画像処理と制御アルゴリズムで先駆者となりました。
アメリカでは1986年、カーネギーメロン大学(CMU)が開発した車両「Navlab 1」が誕生。ベース車両はバンに大型PCを搭載したもので、同時期にソフトウェアによる進路予測および物体認識の研究も重ねられていきます。

1995年には、後継モデルの「Navlab 5」が全米を横断する約4,800kmのうち、98.2%を自動運転で走破しています(ただしハンドル操作のみ自動で加減速は人間)。公道レベルでの長距離走行達成は快挙と言えるでしょう。
日本では1990年代、通産省の支援のもと「画像認識」による車線識別や障害物検知の研究が続けられ、トヨタや日産などが高速道路での先行車追従技術(ACC)を開発します。これは現在の運転支援技術レベル1〜2の先駆けです。

画像認識・制御アルゴリズム・GPS精度の向上など、 自動運転に必要な技術が実地で統合され始め、完全自動運転も「やればできる」という空気が研究者の間に生まれた時期です。

徐々に自動運転技術の下地が整ってきた時代ですね。
自動運転技術の研鑽と成長 (2000年代初頭〜2010年代前半)
2000年〜2004年 (アメリカ)
2000年代初頭、アメリカ国防総省の研究機関「DARPA」は、戦場で兵士の命を守る自律走行無人地上車両(UGV)の開発を進めていましたが、軍主導の閉鎖的な研究に限界を感じ、2004年に「オープンかつ大胆なレース大会」を開催します。

2004年に開催された「DARPAグランドチャレンジ」は、「全てオープンなコンテスト形式にして、自動運転開発を進めている世界中の頭脳に集結してもらおう」という大胆な発想の元に生まれた「完全自律走行レース」です。
1986年から自動運転技術の研究に取り組むカーネギーメロン大学(CMU)もチームとして参加。またスタンフォード大学など、有名大学の優秀な頭脳が参加したことによって、「自動運転技術の甲子園」的な側面が生まれました。
レース内容は、カリフォルニア州からネバダ州を結ぶ約240kmの砂漠ルートを走破する過酷なもので、「遠隔操作と人間の介入なし」という厳しい条件下で開催されましたが、衝撃の「全チームリタイア」という結果に終わります。

参加した15チームは全滅。一番走行距離を伸ばしたのはCMUチームの11.8kmという結果でしたが、この惨敗は開発者たちの熱意と情熱を大いに高めたと思われます。

レース条件も厳しかったですが、それが研究者の魂に火を付けたのですね。
2005年 (アメリカ)
翌2005年、同条件で開催されたレースでついに優勝者が登場します。約6時間54分(平均時速31km)で勝利を収めたのはスタンフォード大学の「Stanley号」で、CMUチームも完走。前回の参加チーム全滅という悲劇を見事に覆しました。

過酷な条件下を完全自律運転で走破したStanley号を開発したプロジェクトリーダーは、セバスチャン・スラン(Sebastian Thrun)氏。スラン氏は後にGoogleの自動運転開発部門「Waymo」の創設者となる人物です。
なお、同大会で「初優勝」という快挙を達成したスタンフォード大学のStanley号は、その自律走行技術の歴史的意義を讃えられ、現在「スミソニアン国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)」に収蔵されています。


Stanly号は「自動運転技術飛躍のシンボル」に相応しい一台と言えますね。
2007年 (アメリカ)
2007年には、DARPAレースの大会名が「Urban Challenge」に変更されます。舞台は公道に似せた市街地環境で、他車両や交差点、交通規則に対応する新ルールが定められました。自動運転の社会実装を見据えた定義の変更です。

このレースには、2005年に共に完走を果たしたスタンフォード大学とCMUも参加。自動運転技術でライバル視されていた両校は、このレースでも見事完走し、CMUが1位、スタンフォード大学が2位という結果を残しました。
CMUは2005年大会で2位と3位という結果に終わったものの、Urban Challengeでは自チームの車両「Boss」の開発に全力を注ぎ、ソフトウェアとハードウェアの両方でスタンフォードを上回る性能を発揮した点が勝因と見られています。

ちなみにスタンフォード大学の参加車両「Junior」が保守的な車両制御アルゴリズムだったのに対し、CMUのBossは、レーシング向けの「攻めるアルゴリズム」を持っていたそうです。両大学の「設計思想の違い」も結果に出ました。
CMUチームのクリス・アームソン(Chris Urmson)氏は、セバスチャン・スラン氏と同様に、このUrban Challenge後にGoogle(現Waymo)へ移籍し、その才能で「自動運転車両の商用化」を牽引していくことになります。

2007年の「Urban Challenge」大会は、自動運転車両が初めて「都市部の複雑な運転状況で自律判断を行なったコンテスト」として、非常に意義があったレースです。

ライバルが競い合うことで、自動運転技術が一気に成長を遂げた感じがします。
2009年〜2010年代前半 (アメリカ・中国・日本・ヨーロッパ)
2009年、Googleは自動運転車両開発に参入します。「DARPAグランドチャレンジ」優勝歴を持つセバスチャン・スラン氏ら、スタンフォード大学出身者を中心とする「Google Self-Driving Car Project (後のWaymo)」の発足です。

初期ベース車両はトヨタのプリウスやレクサスで、2010年代前半にはカリフォルニア州で一般道路の走行試験を開始。この頃から自動運転車に搭載されるレーザーセンサー「LiDAR」の存在が世界的に知られるようになります。
なお、当サイトではLiDARを含む自動運転技術関連の専門用語や、AI画像生成分野、教育分野におけるAI専門用語を解説した記事も掲載していますので、これらを理解して覚えたいという方は、ぜひこちらも併せてお読みください。

2016年12月、Google Self-Driving Car Projectは「Waymo」(外部リンク)へ名称を変更。そして企業「アルファベット」の一部としてGoogleから分離します。Waymoという名前の由来は「モビリティにおける新たな前進」です。
この時期は、アメリカ、中国、日本、ヨーロッパの各地で自動運転車両のテスト走行が行われ、深層学習(ディープラーニング)で強化されたAIの導入も積極化していきます。AIの進化も自動運転技術の発展を促進しました。

この時代になると、自動運転車両はもはや「夢の技術」ではなくなり、「誰が最初に実用化するか」の開発競争レースへと変わっていきました。

自動運転車両がついに「本格的な社会進出」の軌道に乗った感じですね。
ロボタクシーの誕生 (2010年代後半〜2020年)
2018年〜2020年 (アメリカ・中国)
Waymoは2018年、アリゾナ州フェニックスで世界初のロボタクシーサービス「Waymo One」を開始します。最初は人間の補助運転手が乗車していましたが、2019年には一部が「完全無人タクシー」として運行しています。

同じく2018年、中国×シリコンバレーのハイブリッドベンチャー企業「Pony.ai」(外部リンク)は、中国の広州市で自動運転車両の実証実験を開始し、アメリカのカリフォルニア州フリーモントでも走行許可を取得します。

Pony.aiは2019年に入ると、予約アプリを公開する形で中国・広州で初の公開型ロボタクシー実証実験をスタート。2020年には中国での走行距離が累計100万kmを突破し、量産化と展開の加速へ向けてトヨタとの提携を発表しました。
Waymoが「正統派の本命」として堅実な進化を続けているのに対し、Pony.aiは「挑戦型ベンチャー」としてスピードと国際展開で存在感を増している、というのがAIの評価で、両者の開発競争には今後も期待が高まります。


WaymoとPony.aiの違いは、アメリカと中国という市場の差異だけでなく、「自動運転の未来をどのように切り拓くか」という「哲学の違い」でもあると思います。

この時期になると、自動運転技術の普及でアメリカと中国が際立ってきますね。
自動運転商用化の加速(2021年〜2025年)
2021年 (アメリカ・中国・日本)
2021年、アメリカではWaymoがサンフランシスコでロボタクシーサービスのテストを拡大し、新興企業のNuroは、カリフォルニア州で初の自動運転配送許可を取得。自動運転のテスト走行免除が各州へ拡大し始めたのもこの年です。

同年一月、中国では企業AutoXが深圳で完全無人ロボタクシーサービスを提供開始。また検索エンジンで有名なBaiduは、北京で傘下企業による「Apollo Go」ロボタクシーサービスを開始し、完全無人サービスも一部で提供されました。
2017年に設立された中国の自動運転テクノロジー企業「WeRide」(外部リンク)は、2021年に世界初となる「米国と中国における無人テスト走行の許可」を取得して、広州でロボタクシーサービスを開始します。

日本では2021年の東京オリンピック会場において、トヨタがレベル4の自動運転車両「e-Palette」(外部リンク)を選手村の限定エリアで運用。日本における自動運転車両の存在感を世界のメディアにアピールしています。


トヨタのe-Paletteは、バリアフリーを意識したデザインが光る自動運転車両です。
2022年〜2023年 (アメリカ・中国・日本)
2022年、アメリカのGM Cruiseは、カリフォルニア州公共事業委員会の許可取得し、サンフランシスコで24時間有料ロボタクシーサービスを開始します。GM(ゼネラルモーターズ)の自動車開発部門が母体となって設立された企業です。

2023年、Waymoはロサンゼルスで完全無人のロボタクシーサービスを開始。フェニックスではデリバリーサービスの大手である「Uber Eats」と提携し、自動運転車両によるフードデリバリーサービスも開始されました。
アメリカのテスラ(Tesla)は2023年にかけて、「Full Self-Driving(FSD)」システムのベータ版を継続改良します。このシステムはカメラを主体にAIが周囲を検知するアプローチで、自動運転レベル2以上の機能を強化するものです。
テスラは「人間の目のようなビジョンで十分」として「LiDAR不要論」を主張しますが、LiDAR派は「多様なセンサーによる冗長性は不可欠だ」と反論しており、自動運転技術の未来を巡る技術的・哲学的議論は今も続いています。

この議論の行末にも注目が集まっています。
順調に見えた商用化の中で悲劇が発生
2023年10月2日、サンフランシスコでCruiseのロボタクシーが重大事故を起こします。事故のきっかけは、別の人間が運転する車両が歩行者をはね、その衝撃で歩行者がCruiseのロボタクシーの進路上に投げ出されたことでした。

Cruiseの車両は急ブレーキをかけたものの歩行者と衝突し、さらに道路脇に寄せる動作(プルオーバー)の際、歩行者を約20フィート(約6メートル)も引きずりました。この事故で歩行者は重傷を負い、病院へ搬送されます。
この痛ましい事故の原因は、自動運転車両に搭載されていたLiDARセンサーが歩行者の動きを正確に検知できなかったことに加え、AIが人間の衝突を誤分類して、不適切な操作(プルオーバー)を実行したという複合的なものでした。

10月24日、カリフォルニア州車両管理局(DMV)は、Cruiseのロボタクシー車両が「公共の安全に不合理なリスクをもたらす」と判断。サンフランシスコでの無人運転許可を即時停止する措置を発表しました。
交通事故とDMVの停止命令を受け、GM Cruiseは10月26日、サンフランシスコだけでなく、フェニックス、オースティン、ヒューストン、ダラス、マイアミなど、米国全土で無人運転ロボタクシーの運行を自主的に停止します。
GM Cruiseの今後は
かつて、1939年に開催された「ニューヨーク万国博覧会」で自動運転のコンセプトを発表したGMは、その未来形成と商用化の段階において重大な人身事故を発生させ、ロボタクシー事業から撤退することになりました。

ただしGM Cruiseは、今後これまで培ってきた自動運転技術を「個人向け車両」へと還元することを発表しており、完全に自動運転技術分野から撤退したわけではありません。立ち直る姿を見守っていきましょう。

事故はLiDARの限界を一部露呈し、一時的に信頼性に疑問を投げかけましたが、業界全体ではLiDARの採用は続いており、技術改良も進んでいます。

AI自動運転車両の商用化に影を落とした痛ましい事故ですね。
2024年〜2025年 (アメリカ・日本)
2024年12月、Waymoは日本交通および配車アプリ「GO」との提携を発表し、2025年から東京でジャガー・ランドローバー製の電気自動車「I-PACE」を用いた測量を開始しました。Waymo初の海外進出に選ばれたのは、ここ日本です。

測量の初期フェーズでは、日本交通のドライバーが「手動運転」で走行しながら、港区・新宿区・渋谷区など東京都の7区で地図データや3Dデータを収集します。外出時にWaymoの測量車両を見かけることがあるかもしれませんね。
このWaymoの日本進出には、人口密度の高い東京が持つ「複雑な交通環境」におけるデータ収集を通じて、自動運転技術「Waymo Driver」の適応力を検証する狙いがあります。今後の展開に期待が高まる取り組み事例です。

アメリカとは異なる日本の左側通行や独自交通ルールへの対応、そして都市部における高密度環境での自動運転技術の検証は、Waymoのグローバル展開の試金石となります。

日本の都市部の複雑な交通環境は、自動運転車両にとって大きな挑戦になりそうです。
日本のインバウンド需要も狙いか
2024年に日本を訪れた外国人観光客は約3,686万人(外部リンク)です。日本語を話せない観光客にとっては、母国語でタクシーを利用することは厳しいと思われます。日本語しか話さないタクシー運転手の場合、理解に苦労するはずです。

アプリのみでタクシー配車サービスを利用できるWaymoの場合、言語に頼らず目的地を指定でき、簡単な操作だけで移動できます。自動運転サービスを世界展開することは、コミュニケーション面の不安解消にも繋がるのです。

Waymoが自動運転サービスを日本で展開することで、運転手不足の解消や高齢者の移動支援にも期待が持てますが、日本のインバウンド需要を鑑みて、外国人観光客の「東京体験」を刷新する狙いもあると言えるでしょう。
Waymo Driverについて
Waymoの自動運転車両を支える重要なテクノロジー「Waymo Driver」は、人間の補助ドライバーが乗車せずに車両を稼働させます。これは同社の「全自律運転テクノロジー」を具現化した技術で、自動運転レベルは4です。

2024年8月に発表された「第6世代」のWaymo Driverは、カメラ13台・LiDAR4基・レーダー6基を搭載し、最大で500mの監視能力を持っています。これらの情報を集めて分析するのは、Waymo独自のAIモデルです。
「The World’s Most Experienced Driver (世界で最も経験豊富なドライバー)」と言われるWaymo Driverの搭載車両は、自動運転レベル4の条件下で2,700万マイル(約4,345万キロ・2024年に達成)以上を走行しています。

Waymoは自動運転の商用化で確固たる地位を築き上げましたね。
自動運転車両と社会貢献
現在までの歴史を見ていくと、WaymoやPony.aiなど、自動運転技術を商業化へ推進している先進的な企業が最初に目指しているのは、ロボットタクシーやデリバリーサービスへの応用、つまり都市部での自動運転需要です。

ただ御存知の通り、日本では高齢化や過疎化によって「バス運転手」が不足している地域があり、それが路線廃止などの社会問題にも繋がっています。こうした喫緊の課題を解決する一助としても、自動運転技術は有益なはずです。
店舗におけるセルフレジ導入と同じく、かつて人間が行っていた仕事をAI技術に置き換えることで、将来的な雇用の影響が心配されますが、運転手のように「常に人手不足の分野」であれば、社会貢献へと繋がることでしょう。
自動運転EV「MiCa」
新潟県の弥彦村は、ソフトバンクの子会社「BOLDLY(ボードリー)」(外部リンク)、大日本印刷株式会社などと協力して、2024年2月2日から自動運転EV「MiCa(ミカ)」の通年運行を開始しました。

弥彦村ではバス事業者の事業撤退などを受け、隣接する燕市と共同で広域循環バス「やひこ号」を運行していますが、ドライバーの高齢化や不足に伴い、ルート拡大といった住民のニーズに応えることが難しい状況にありました。
こうした課題に対して村は、持続可能で利便性が高い公共交通サービスを実現するため、国土交通省の「自動運転実証調査事業」の採択を受け、自動運転EV「MiCa」2台の通年運行を開始することにしたのです。
RoAD to the L4プロジェクト
2021年にスタートした「RoAD to the L4プロジェクト」(外部リンク)は、日本の経済産業省・国土交通省の委託事業として、自動車産業を取り巻く動きを踏まえながら「持続可能なモビリティ社会」を目指す国家プロジェクトです。

プロジェクトの目標は「自動運転レベル4の移動サービスを実現及び普及すること」で、取り組みを促進しながら環境負荷の低減、移動課題の解決、日本の経済的価値の向上に貢献することを目指しています。
「RoAD to the L4プロジェクト」は、福井県や茨城県などで展開している実証実験の例を元に、今後は全国の事業者を支援しながら、国の目標数値である「2025年50箇所程度」のサービス展開を実現していく予定です。

WaymoやPony.aiが「都市部の商用化」に向けて自動運転技術の展開を目指しているのに対し、日本では高齢化と過疎化に伴うインフラ欠落に対応すべく、「地方の社会貢献としての自動運転」を促進している点で違いがあります。
今後の展開時期を考察すると、ロボットタクシー分野で確かな実績を持つWaymoが先行して日本国内でのサービスを行い、その後「日本独自のロボットタクシーサービス」が都市部に展開していく流れではないかと思います。
個人的な意見として、日本が主に地方を舞台にレベル4の自動運転サービスを加速させていることは、非常に理に適った政策であると感じます。「本当に必要としている人」に向けたサービスには大きな説得力があるからです。

日本ではレベル4の自動運転技術を社会貢献に結びつける動きが出ていますね。
前編まとめ
1939年のニューヨーク万国博覧会でGMが披露したコンセプト「Futurama」は、自動制御の高速道路を走る車両を描き、運転手のいない未来を予見しました。80年以上の時を経て、その夢は今「現実」として世界に広がっています。

自動運転技術の最前線を走るのは、アメリカと中国です。そしてアメリカのWaymoが日本へ進出することで、運転手を持たない「ロボットタクシー」が、都市部における我々の身近な交通機関となる将来が生まれつつあります。
日本政府は、高齢化と過疎化が深刻な地方のインフラ問題を解決すべく、企業と連携しながらレベル4の自動運転サービスを順次展開していく構想を打ち出しています。この流れは今後数年間でさらに加速していくことでしょう。

自動運転の商用化には課題もあります。2023年のCruise事故は安全基準の厳格化を促し、開発者には慎重な実証実験が求められています。すべての利用者が安心して乗車できる自動運転車両の「安全な未来」に期待したいですね。
記事の後編では、2025年から2050年以降の未来にかけて、自動運転の分野は一体どのような発展を遂げていくのかという「未来予測」を、AIと一緒に考えながら考察していきます。こちらもぜひ併せてお読みください。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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