
巨大地震の歴史を一緒に振り返りましょう。

未来へ向けて考える場合、過去の巨大地震を単なる被害の記録ではなく、「人類のターニングポイント」として捉えることが重要になります。
USGS(アメリカ地質調査所)の発表によると、1900年から現在までに世界でマグニチュード8以上の巨大地震が発生した回数は約121回で、文献が残る古代の記録を加えると、人類が遭遇した巨大地震の数はさらに増えます。

今回は、我々人類に立ちはだかる自然の脅威「巨大地震」を、過去・現在・未来に分けて特集します。過去編は歴史に刻まれた世界の巨大地震を取り上げ、注目すべき点をAIと一緒に考察していく内容です。

それでは早速見ていきましょう!
AIと考える巨大地震の過去・現在・未来「過去編」:歴史上有名な「世界の巨大地震」の注目点をAIと一緒に考察
歴史に名前を刻んだ「世界の巨大地震」の注目点をAIと一緒に考察
4世紀|365年「クレタ地震」:ギリシャ・東地中海クレタ島付近
西暦365年7月21日、当時ローマ帝国の支配下にあったクレタ島付近で推定マグニチュード8.0と見られる巨大地震が発生し、その被害はクレタ島のみならずギリシャ・リビア・エジプト・スペインなど広範囲に及びました。

震災当時に存命していたローマ帝国の軍人兼歴史家アンミアヌス・マルケリヌスは、自著『歴史(外部リンク)』の26巻の中で、巨大地震の様子に加えて地震直後に発生した壊滅的な大津波についても言及しています。

クレタ地震の注目点
大津波の記述で注目すべき点は、当時の人々が津波の前に大規模な引き潮が起こった際、地面に現れた魚などを取りに行こうと海岸付近へ押し寄せ、その後発生した巨大津波に巻き込まれた描写があることです。

地震に伴う津波のメカニズムが解明されている現在、巨大地震発生直後に大津波の危険があることはほぼ「常識」ですが、当時の人々はこの知識に乏しく、それが甚大な被害拡大を招いたと考えられます。

『歴史』に記されたこの一節は、古代の津波被害を記録した史料の中でも特に生々しく、現代の防災視点から見ても極めて示唆に富む描写です。

当時の人々は「地震と津波の関連性」が分からなかったのですね。
16世紀|1556年「華県地震」:中国・陝西省(せんせいしょう)
1556年に中国の華県(現在の陝西省渭南市華州区:せんせいしょう いなんし かしゅうく)で発生した華県地震(外部リンク)は、マグニチュード8.0以上、犠牲者83万人以上と推定される”人類史上最悪の巨大地震”です。

巨大地震による直接の死者は推定10万人以上でしたが、その後で疫病や飢饉も発生しており、こうした二次被害によって命を落とした人々の総数は70万人以上と推測されています。中国を襲った悲劇です。
華県地震の注目点
当時は震源地付近にいた人々の多くが「窰洞(やおとん)」と呼ばれる横穴式の洞穴住宅で暮らしていましたが、柔らかい黄土を掘って作られた窰洞が巨大地震で一気に崩れたため、犠牲者数が飛躍的に増加しています。

伝統工法である窰洞(やおとん)は、人々が自然環境に適応しながらと共生してきた”理に適った設計”を持つ洞穴住宅でしたが、想像もできないレベルの巨大地震に見舞われたことが悲劇に繋がりました。

防災文化は「世代をまたいで伝承」されなければ機能しません。華県地震は、「稀な災害ほど人類が学びにくい」という本質的な課題を象徴していると考えます。

防災で「想定外」を考えるのは非常に難しいですね。
18世紀|1707年「宝永地震」:日本・南海トラフ
1707年に日本を襲った「宝永地震」は、南海トラフが震源域と考えられている江戸時代の巨大地震です。約790kmの広範囲で家屋が倒壊したと伝えられ、後年の研究でマグニチュードは8.4〜9.3と推定されました。

推定震度6以上の激震が発生した地域は、現在の東海・近畿・四国・九州東部で、中部地方内陸(山梨県、長野県)や日本海側の島根県東部でも一時”強い揺れ”が発生したという記録もあり、地震の異常な規模が分かります。

徳川林政史研究所(外部リンク)に所蔵されている尾張藩奉行の日記『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』には、「激しい地鳴りの後に歩けないほどの揺れが襲い、地面が裂けて泥が湧き出した」という生々しい記述が存在します。

揺れ以上に深刻だったのが津波で、被災した地域の規模は全長約600kmに及びます。様々な古文書に津波の様子が記録されており、大規模な引き潮の後、家屋を押し流す”壊滅的な津波”が何度も押し寄せてきたことが判明しました。

宝永地震の注目点
津波の被害によって多くの人命が失われた地域には、多くの慰霊碑や追悼碑などが建てられています。数百年前に起こった惨事を私たちに訴える碑の数々は、決して疎かにしてはいけない存在と言えるでしょう。


この貴重な歴史記録を風化させず、「いつか必ず起こる災害」として具体的な備えを講じることが、宝永地震の”最大の教訓”と言えるでしょう。

いつ起こるか分からない南海トラフ巨大地震への備えは大切ですね。
18世紀|1755年「リスボン地震」:ポルトガル・リスボン
1755年11月1日、ポルトガル王国のサン・ヴィセンテ岬で推定マグニチュード8.5〜9.0の巨大地震が発生し、首都リスボンを中心に、西ヨーロッパの広範囲が震災による甚大な被害を受けました。

リスボンにあった建造物の約85%は地震で倒壊。街の中心部には長さ5mの亀裂が生まれ、各地で火災も発生した上、大津波も到来しました。被災国の累計死傷者数が4〜5万人以上に及んだ大災害です。

リスボン地震の注目点
リスボン地震で特筆すべき点は、当時ポルトガル王国の行政を任されていた宰相セバスティアン・デ・カルヴァーリョが、科学的な見地から地震の被害状況把握を行なったことで、これは”地震学の先駆け”と言われています。

宰相はリスボンの都市復興にも意欲を見せ、小型模型で耐震性を調べながら「地震に強い建造物」を建設させました。今も残るポンバリーナ建築洋式は、ヨーロッパで最も古い歴史を持つ耐震構造の一つです。

当時、多くの人々がこの巨大地震を「神罰」と捉えており、ルソーなどの思想家や哲学者の考え方にも影響を与えていますが、宰相は震災後の略奪者を罰しながら治安を維持し、現実的な視点で復興を目指しました。

宰相の対応は、「科学的知見の活用」「強力なリーダーシップ」「計画的な復興」という”現代に通じる国家の役割”を実行した点で非常に意義のある行動です。

宰相は後年に物議を醸した人物でしたが、巨大地震への対処は素晴らしいものでした。
20世紀|1960年「チリ地震」:チリ共和国・ビオビオ州〜アイセン州北部
1960年5月にチリ共和国で発生した「チリ地震 (バルディビア地震)」は、観測史上最大レベルとなるマグニチュード9.5を記録した超巨大地震で、本震後に発生した巨大津波が世界各地に被害をもたらしたことで知られます。

南米大陸の南北1,000km以上に及ぶ断層の活動が生み出したこの超巨大地震は、チリの国土約40万km²に大きな被害を与え、チリ沿岸部には最大で25mに達する大津波が到達しました。

チリ地震の注目点
地震に伴って発生した大津波は、時速約750kmの猛スピードで太平洋を横断。震災発生から15時間後にはハワイ諸島に、22〜23時間後には日本へ到達し、東北地方を中心に甚大な津波被害を巻き起こしています。

遠く地球の裏側からやって来たこの「チリ津波」以降、日本の気象庁はアメリカ海洋大気庁の機関「太平洋津波警報センター(外部リンク)」と連携しながら、津波に関する警報と注意報を発令する仕組みを整えました。

チリ津波後に”国境を超える巨大地震の被害”に対応すべく国際協力体制が構築されたことは、近代防災における重要な転換点(ターニングポイント)と言えます。

各国が連携して巨大地震と大津波情報を共有すれば、被害の拡大を防げますね。
20世紀|1964年「アラスカ地震」:アメリカ合衆国・アラスカ州
1964年3月27日午後5時、アラスカ州アンカレッジ沖で発生した「アラスカ地震」は、マグニチュード9.2〜9.3の揺れが襲った超巨大地震で、北米における”観測史上最大の地震”として知られています。

激震が4分38秒続いたこの超巨大地震はアラスカ州中南部全域に甚大な被害をもたらし、日本を含む20か国以上に届く津波を生み出します。アラスカのショウプ湾(Shoup Bay)では最大67メートルの大津波が記録されました。

余震も多く、地震発生当日にはマグニチュード6以上の余震が11回記録され、その後数ヶ月で小規模な揺れを含む数千回の余震が発生したことが、USGS(アメリカ地質調査所)の報告で明らかになっています。

アラスカ地震の注目点
地震後、アラスカ州にあったポーテージとバルディーズの町はそれぞれ放棄、移転しています。地質学的に危険だと判断された同じ場所に町を再建せず、住人のリスクを回避することの大切さを物語る出来事です。


アラスカ地震後に起こった町の放棄・移転は、「地震の脅威を回避できない場所でコミュニティを存続させるべきではない」という近代的な防災思想とリスク回避を具現化した事例です。

人命を守るためには「思い切った決断」をすることも重要ですね。
21世紀|2004年「スマトラ島沖地震」:インドネシア・スマトラ島沖
2004年12月26日にインドネシアのスマトラ島沖で発生した「スマトラ島沖地震」は、マグニチュード9.1〜9.3を記録した超巨大地震で、近代の地震観測史上”世界で三番目に大きい地震”とされています。

インドプレートがビルマプレートの下に滑り込む形で発生したこの地震では、最大1,600kmにわたって断層面にズレが生じたと推測されています。地質学的にも極めて異例な規模を誇る巨大災害です。
スマトラ島沖地震の注目点
この超巨大地震によって発生した大津波は、その到達時間に差こそあれ、震源地であるインド洋に面した国と地域を次々に襲います。インドネシアを始めスリランカ、アフリカ諸国、タイなどが深刻な被害に遭いました。

当時のインド洋には”国際的な津波情報共有システム”が存在しませんでしたが、震災以降、ユネスコ主導で「インド洋津波警報・軽減システムに関する政府間調整グループ(ICG/IOTWMS)外部リンク」が立ち上がります。

スマトラ島沖地震は、科学と制度、そして国際協力の力を借りて、地球規模のリスクに立ち向かう現代の防災の方向性を決定づけた最も重要な巨大地震の一つです。

巨大災害には国家の壁を超えて立ち向かう必要がありますね。
21世紀|2011年「東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災)」:日本・三陸沖
2011年3月11日午後2時46分、日本の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の超巨大地震が発生します。「東日本大震災」という名称でも知られるこの地震は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。

日本観測史上最大となる超巨大地震による直接被害と共に深刻だったのが大津波で、日本国内で19,765人の尊い命が失われ、現在も2,553名が「行方不明」となっています。非常に痛ましい出来事です。

震災と津波は、福島第一原子力発電所でチェルノブイリ原子力発電所事故に並ぶレベル7(INES評価)の原発事故を引き起こし、309平方キロメートルに及ぶ帰宅困難区域を生み出して世界に衝撃を与えました。

この震災は、地震学や科学が飛躍的に進化した現在においても、想定を遥かに超える超巨大地震に対処することがいかに困難であるかを物語りますが、一方で様々な学術的知見をもたらしたことも確かです。
東北地方太平洋沖地震の注目点
2004年のスマトラ島沖地震が設立のきっかけの一つと言われるSNSのYouTube上には、今も実際の生々しい被災映像の数々が残されています。これらは当時の惨状を伝える重要な資料映像と言えるでしょう。

ただその一方、震災当時SNS上でデマやフェイクニュースも多数飛び交い、利用者を”疑心暗鬼”にさせる出来事があったことは見逃せません。情報リテラシーを獲得することの重要性も浮き彫りになりました。

SNSを通じてリアルタイムの情報発信を行えるようになった点は情報社会のメリットですが、迅速な情報提供が求められる場面で真偽不明の情報が錯綜する現状は、何としても改善する必要があります。

SNSにおけるデマやフェイクニュースの氾濫は、東日本大震災が「情報災害」としての側面も併せ持っていたことを示しています。

緊急時に「確かな情報」を判断する姿勢と取り組みが必要ですね。
過去編まとめ
人類は太古から巨大地震の猛威に晒されています。科学が発展する前の世界における巨大地震は精霊の怒りや神罰に例えられ、人々は畏れながらも、その圧倒的な力を「何らかの形」で解釈しようと努めました。

そんな中、巨大地震や津波の様子を克明に記録しようとする人々が現れ始め、その記録は時を超えて後世へ伝わっていきます。過去の人々が遺した記録は、現代の防災学や地震学の根幹を成す重要なものです。

次回の「現代・未来編」では、”過去からのバトン”を受け取り、科学の力で巨大地震の脅威に向き合う現代の人々の取り組み、そしてAI技術による災害対応と情報分析の可能性と未来を探っていきます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!


コメント